1999-03-03 第145回国会 参議院 予算委員会 第9号
ですから、私は唖然としたのでありますけれども、現時点でも指導要領に基づいて、以前中島文部大臣のときだったですか、慣習法上国旗であり国歌である、日の丸が、君が代がというふうな予算委員会での答弁があったと思います。
ですから、私は唖然としたのでありますけれども、現時点でも指導要領に基づいて、以前中島文部大臣のときだったですか、慣習法上国旗であり国歌である、日の丸が、君が代がというふうな予算委員会での答弁があったと思います。
こういうことが問題になりまして、久子さんがお越しになりまして、何とかニューヨークの方の日本人学校に先生を送ってくれないかということで、当時中島文部大臣でございましたけれども、あの中島文部大臣にお願いをしましてこちらからも協力者が出かけていったのはよかったんですが、ニューヨークにあった学校がいろいろの理由で今度は移転をいたしました。
そこで、中島文部大臣が参誠院の文教委員会で、解散も検討しているということをおっしゃったのは、これらの経過、事実というものについて大臣みずからが疑惑を持たれた結果ではないかというふうに思っておるのでありまして、単に適正に運用されておりますという通り一遍の回答では、これは回答にならぬと思うのです。
しかし、今は亡き当時の中島文部大臣から西岡文部大臣にかわったときの話であります。当時、中島文部大臣は、東郷平八郎で日露の日本海海戦を教えることは、局地戦争を取り上げて教えることは、私は賛成はできない、四十二人の中に入れるというのは、私は納得できないよという言葉で明らかにしているのであります。
そのときの大臣は、六十三年でしたから中島文部大臣でしたけれども、少なくとも聴覚障害者の方々によかれと思われる方策を編み出すために勉強してみたい、こういう答弁が行われておるのです。六十三年から二年たっているわけでございますが、現在、この聴覚障害者の著作権法上のこれを優遇する、著作権を適用しない、こういう問題について勉強はどこまでいっているのですか、どういう見通しですか。
特に最初の六十三年三月のときには、当時中島文部大臣でございましたけれども、私、質問しますと、本当に前向きな御答弁をいただいておるわけでございます。いわゆる学校の現場における健康診断、昭和三十三年にこの学校保健法ができましてから、詳しく言いますと学校保健法施行規則が昭和三十三年六月にできてから今日三十三年です。
ちょっとした資料によりますと、先日もお聞きをいたしましたが、前の中島文部大臣が理事長をされているという民間教育団体、あれが間もなく文部省に公認申請をし、許可をされるという、そんなことも言われておりますが、学習塾がそういう形で教育の一分野として位置づいてくるならば、この学校五日制が実現したときに教育産業十兆円、受験産業二十兆円とも言われる、そういうものへ道を開く危険はないか、そんなことも心配されるわけであります
○国務大臣(保利耕輔君) 先生御指摘の、当時の中島文部大臣並びに竹下総理の御答弁等につきましては、私もそれを読ませていただきました。その中で感じたことでございますが、文教委員会におけるこの答弁は、実施要項の拘束力について答えたものではないんではないか、率直に申して私はそのように思いました。
第百十二回国会の本委員会の審議の中で、当時の竹下内閣総理大臣、中島文部大臣から締めくくり質疑の中で初任者研修のあり方について答弁がございました。その上で、本委員会では附帯決議が成立しているところでございます。これらの政府答弁、附帯決議は、初任者研修の本当に誠意ある方法をとっていく場合に非常に重要な政府答弁であり、あるいは本委員会の附帯決議であると私は思っています。
○国務大臣(保利耕輔君) 当時の中島文部大臣あるいは竹下総理の御答弁は、私もこれは引き継いでいかなければならないと思っております。 それから、今お尋ねの附帯決議でございますが、これは委員会として御決議をいただいておる国会の御意思でありますから、尊重していかなければならないことは当然だと心得ております。
その中で、小学校の社会科の六年生の教科書の中に戦後初めて東郷元帥が登場をしてきた、そのことについては大変な論議を呼びましたし、また当時の中島文部大臣、そして西岡文部大臣へバトンタッチをされたときの問題であります。
当時の中島文部大臣からは大変前向きな、積極的な御答弁をいただいております。確認のためにちょっと読んでみます。「心臓病の原因にもなるものが高血圧でございますから、糖尿あるいは高血圧の一つに血圧をはかれ、こうおっしゃる、この御提案は一つの識見といたしまして取り入れてまいりたい、今検討を進めておりますが、その中に入れてまいりたい、こう思っております。」
それで、七月に省内のということを言いましたが、実はこれも私たちが中島文部大臣と何遍も何遍もやりまして、そうしたら初中局と助成局と別別の答弁ですから、こんなことじゃ学校五日制と週休二日というものは一つの、関係の深い問題でございますから連絡会議をつくってくれ。ようやく六十三年七月、文部省の中に連絡会議をつくって、加戸官房長が当時座長をしたわけですよ。加戸さんは非常に熱心だった。
当時、中島文部大臣にお話しをしまして、面会をしていただいて、この問題は片づいたんです。 ところが、肝心の日本の方は片づいてないんですよ。教育の現場の教壇に立っていらっしゃる先生もわからないんですね、これは。というのは、ほかのことは何でもできるんですよ。何か一つに限ってできない。人の名前は覚えない。
ただ、中島文部大臣がこのことに関して一定の抵抗をしたという、自民党の中にもそういう考えを持っている方がおられたということは一つの救いですよ。 東郷平八郎というのは、私ども子供のときからその人のことを習って育った人間です。これは生きながらにして軍神と言われた人物です。日露戦争における連合艦隊司令長官、その後満州事変、十五年戦争へと強引に戦争を推し進めた人物であることも間違いありません。
そして中島文部大臣では、つまり東郷平八郎は入らないことになるので、次期文部大臣である西岡さんの出現を待って告示したのではないかと思われますが、そういう経過じゃないのですか。簡単にお答えください。
なお、前中島文部大臣の時代に服務に関しての委員会が昨年の十二月に設置をされていたところでございますが、これをことしになりまして四月の二十日付で改正をいたしまして、服務規律委員会を設置いたしまして、これに職員の分限及び懲戒に関する調査を行うという任務も持たせて、この委員会を機能させているところでございます。
さきの第百十二国会の本委員会で審議されました際に、竹下首相や中島文部大臣から総括的に答弁をされました十五項目、私と高木委員と二人で質問いたしました。それから附帯決議、これは各県に十分御指導いただいておるんでしょうか。どうも私ども聞くところによれば、指導が行き届いていないのではないか、あるいは各県数委が十分耳を傾けていないのではないか、こういうことが感じられることがありますのでお伺いします。
中島文部大臣。 ───────────── 臨時教育改革推進会議設置法案 〔本号末尾に掲載〕 ─────────────
でき得ることならば中島文部大臣に私は留任を要望したいと思います。 ありがとうございました。
パーティー券は中島文部大臣、あなたが在任中直接配下の者がやったことだ。部下の不始末はトップの不始末でもありますよ。責任が問われておるんじゃないですか。
また、「かもめ」という社内報の中には、現の中島文部大臣、海部文部大臣がそれぞれ講演されたということが載っているわけなんです。「かもめ」の一九八六年六月号、一九八八年の三月号。 そういうこともきちっと事前に言っているのに、その確認する手だてもやらないで、今の答弁は何ですか。私はそんなことでは絶対承服できませんわ。
中島文部大臣は、教育行政の最高責任者という立場にありますが、今回の不祥事件についてどのような感想を持っておられるか。また、かかる不祥事件の再発防止のため文部省内で何らかの手を打っておられると思いますが、綱紀粛正のための実効ある対策を講じておられるのか、具体的に明らかにしてもらいたい。
○勝木健司君 先般の本法案の趣旨説明の中でも中島文部大臣は次のようなことを言われておられます。「学校教育の直接の担い手である教員の活動は、人間の心身の発達にかかわるものであり、幼児、児童、生徒の人格形成に大きな影響を及ぼすものであります。」、「まず、その最初の段階である養成教育において真に教員にふさわしい人材を育成することが肝要であります。」
○勝木健司君 中島文部大臣、この免許と学歴との関係について、基本的な考え方はどんなものがあるのか、御所見をお伺いしたいというふうに思います。
次に、中島文部大臣にお伺いをいたします。 本推進会議が設置された場合、いかに民主的な構成と運営がなされるかであります。法案の第五条に、「委員は、人格識見共に優れた者のうちから、文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」とされています。余りにも抽象的であります。